Ref. #江戸走り #ナンバ走り #身体操作 #重心移動 #古武術

本日の問い
なぜ飛脚は、草履ひとつで数百キロを走破できたのか? その秘密は、筋肉の強さではなく、『倒れる力』の使い方にありました。
こんな方へ
- 最近SNSでよく見る「江戸走り」がなんかよく分からないけど気になっている方。
- 文楽や人形浄瑠璃、能や狂言。武術や伝統芸能に見られる、力みのない美しい所作に憧れる方
この記事の結論
- 現代の「江戸走り」ブームは単なるミームではなく、江戸時代の、重力(重心移動)に身を委ねる「身体優位の感覚」を取り戻すための入り口である。
- 文楽や能、ナンバ走りに見られる動きは、型ではなく「物理法則に逆らわない」という生物としての最適解である。
今、SNSなどを中心に「江戸走り」と呼ばれるムーブメントが静かな話題になっています。 腕を振らず、上体を前傾させ、独特のリズムで走るその姿。 一見すると、現代のランニングフォームとはかけ離れた奇妙な動きに見えるかもしれません。
しかし、これを単なる「昔の人の変わった走り方」として片付けてしまうのは、あまりにも惜しいことです。 トレーナーとして、そして身体の探求者としてこの現象を見ると、そこには現代人が忘れ去ってしまった「身体のOS(基本ソフト)」の片鱗が見えてきます。
脳が先か、重心が先か
現代の私たちの動きは、基本的に「脳優位」です。 「右足を出そう」「腕を振ろう」と、脳が司令塔となり、筋肉に電気信号を送って身体を制御しています。これは、いわばロボットを操縦席から操作しているような状態です。
対して、江戸時代以前の人々の身体操作は、「身体(物理)優位」でした。
彼らが使っていたのは、筋肉の収縮力ではなく、地球上にある最大のエネルギー、すなわち「重力」です。 自らの重心(丹田)を、進行方向へと「倒す」。 すると、身体は倒れまいとして、勝手に足が一歩前に出る。
「重心が動き、身体がそれに従属する」 飛脚が何百キロもの距離を軽やかに駆け抜けることができたのは、自分で走っていたのではなく、「重力によって走らされていた」からです。 そこには、脳が筋肉に無理やり命令するタイムラグも、無駄なエネルギーロスも存在しません。
文化に宿る「受動的な身体」
この「重心に従う」という感覚は、日本の伝統芸能の中にも色濃く残っています。
例えば、「文楽(人形浄瑠璃)」の人形を想像してみてください。 人形には筋肉も脳もありません。遣い手(重力)によって重心が動かされることで、手足がブラブラとついてくる。 実は、これこそが最も力みのない、純粋な動きの極致です。
また、「能」や「狂言」における「すり足」も同様です。 地面を蹴るのではなく、重心を水平に滑らせるように移動する。 これは、頭(脳)の位置を上下させず、常に重心をコントロール下に置くための、極めて合理的な身体操作です。
よく話題になる「ナンバ走り(同側の手足を出す動き)」も、決して「そういう型」があったわけではありません。 重心を前へ前へとスムーズに落下させるために、身体を捻らず、骨盤を前へ送り出した結果、自然とそうなっただけなのです。
形を真似するのではなく、物理現象としての必然性がそこにありました。
『形を真似る』から『感覚を探す』へ
現代における「江戸走り」の面白さは、形を真似ること(ミームとしての消費)にあるのではありません。 「100年以上前の日本人が感じていた重力感覚」に、身体一つでアクセスできる点にあります。
もしあなたがこれを実践するなら、手足の形を気にする必要はありません。 意識すべきは一点のみ。
「頭で動こうとするのをやめ、重心が倒れる感覚に身を任せること」
身体の力を抜き、微細な重心のズレを感じ取る。 すると、ある瞬間、頑張っていないのに身体が勝手に前へ進む、「波に乗る」ような感覚が訪れます。
結論:身体によるタイムトラベル
現代の生活は、あまりにも脳が肥大化しすぎています。 PC作業も、スマホの操作も、すべて脳からの指令です。
だからこそ、あえて古(いにしえ)の身体操作に触れてみる。 それは、脳の支配から身体を解放し、「ただの物体として、地球の物理法則と遊ぶ」という、豊かな体験でもあります。
江戸走りという「入り口」を通して、かつての人々が見ていた景色、感じていた風を、あなたの身体で追体験してみてください。 そこには、最新のスポーツ科学でも到達できない、身体知の深淵が広がっているはずです。
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