Ref. #感覚統合 #発達支援 #療育 #A.JeanAyres #ForUse #身体性

本日の問い
設備も整い、運動の量も確保できている。それなのに、なぜ子どもたちの発達は足踏みするのでしょうか? 感覚統合療法の創始者エアーズが定義した「For Use(使うため)」という言葉。この原点に立ち返ると、現代の療育が陥っている「手段の目的化」が見えてきます。
こんな方へ
- 発達支援の現場で、子どもにサーキット運動やブランコを「こなさせる」ことに必死になっている支援者の方。
- 「たくさん刺激を入れれば発達する」という説明に、どこか違和感を持っている保護者の方。
この記事の結論
- 現代は経験の「量」や「パターン」は容易に手に入るが、それが身体の中で腑に落ちるまでの「成熟」が起きにくい時代である。
- エアーズの定義は「使うために(For Use)、感覚をまとめること」。ただ揺れるだけの受動的な刺激では、脳は統合されない。
- 運動そのものが「目的(ノルマ)」になった瞬間、発達は止まる。脳が育つのは、子どもの内側から「やってみたい」という興味が生まれた時だけである。
量は増えた。でも、成熟が起きにくい
発達支援の現場で「感覚統合」という言葉を聞く機会は、ここ数年で一気に増えました。 トランポリン、バランスボール、トンネルくぐり、平均台。身体を動かす時間が用意され、プログラムも整っている。 これは、多くの子どもたちにとって素晴らしいことであり、現場の先生方の努力の積み重ねだと思います。
一方で、少し気になることもあります。 感覚統合が「刺激を入れること」「サーキットを3周回すこと」「一定時間ゆらすこと」といった、分かりやすい“手順”に寄ってしまう場面を見かけることです。
ここには、支援の現場だけの問題ではなく、現代の生活の特徴が透けて見えます。 いまの社会は、経験の「量」や「パターン」を用意するのが得意です。選択肢は多く、試せることも多い。 けれどその一方で、ひとつひとつの経験が身体の中で「成熟」する前に、次へ進んでしまうことが増えました。
触れたことはある。やったこともある。 でも、腑に落ちるところまで育っていない。 経験が身体を「通過」していくだけ。
感覚統合の形骸化が起きているとしたら、それは現代社会の構造が、そのまま療育の現場に反映されている姿なのかもしれません。
まず、エアーズとは誰か
感覚統合療法の文脈で必ず出てくるのが、A. ジーン・エアーズ(A. Jean Ayres)という人物です。 米国の作業療法士・心理学者であり、子どもの学習や行動のつまずきを「感覚の処理と統合」という視点で整理し、体系化したパイオニアです。 いま私たちが「感覚統合」と呼んでいる考え方の源流は、基本的に彼女の仕事にあります。
そして彼女が残した定義は、とても短い言葉に凝縮されています。
“The organization of sensation for use” 「使うために、感覚を組織化すること」
この一節は、感覚統合が“何かの運動”ではなく、目的に向かって感覚がまとまるプロセスだということを示しています。 大切なのは、前半の「感覚」より、後半の「For Use(使うために)」の方なのです。
身体機能だけを高めても、発達にはつながらない
感覚統合を学び始めた人が陥りやすい罠があります。 「とにかく動かせばいい」「刺激をたくさん入れればいい」という、「量」への信仰です。
確かに、野山を走り回り、泥だらけで遊び、自然に育っていく子どもはいます。 ただ、彼らをよく観察すると、そこには見落とされがちな前提条件があることに気づきます。
- 大人と安心して関われている(愛着・安全基地)
- 没頭できる環境がある
- 生活リズムが整っている
つまり、動いたから発達したのではなく、「発達できる状態(土台)があったから、自然と動きたくなった」。 この順序が逆転してしまうと、いくら身体を動かしても、それはただの「動作」で終わってしまいます。
運動や刺激は、万能のスイッチではありません。 条件が揃ってはじめて、身体は「使ってみよう」と動き出し、その結果として統合が起きる。 エアーズが見ていたのも、まさにこの順序です。
「抑制」より前に、「味わい尽くす」
少し前まで、発達のつまずきを「原始反射の残存」と捉える視点が有効でした。 “エンジンはあるけど、ブレーキがかかっている”という見立てです。だから、その反射を「抑制(統合)」しようとアプローチしてきました。
けれど現代の子どもたちを見ていると、状況が変わってきている印象もあります。
- 赤ちゃん時代に十分に丸まっていない(Cカーブの不足)
- 抱っこされ、守られるという身体経験が少ない
- 安心して身を委ねる体験が薄い
これは「反射が強すぎて抑制できない」というより、「そもそも育つ経験を経ていない」という欠落の問題に近いことがあります。
抑制や統合を目指すもっと手前。 まずは、安心して身を委ねる、守られる、身体が反応する。 そうした泥臭い経験を、急がずに「味わい尽くす(育ちきる)」ことが必要な子がいます。
ここでも必要なのは、やはり「量」ではなく「成熟」です。 経験が身体の中で根を張るには、時間と安心が要るのです。
「For Use」の本当の意味
ここであらためて、エアーズの “For Use” に戻ります。 感覚統合は「入力」ではなく、「編成」です。
たとえば、子どもがブランコに乗っているとします。 ただ揺らされているだけなら、それは前庭覚の“刺激”に過ぎません。脳は受動的です。
でも、もしその子が「向こうの的に当てたい」「あそこにある物に触りたい」と思った瞬間、状況が変わります。
揺れの感覚、距離感、筋肉の出力、タイミング。 バラバラの情報が「目的」に向けてまとめられていく。 このとき初めて、感覚は「使うために組織化(統合)」されます。
エアーズが言いたかったのは、たぶんこういうことです。 感覚は、入れれば育つものではない。 目的に向かって使われたときにだけ、まとまり、育つのだと。
運動が「目的」になったとき、発達は止まりやすい
支援の現場でよく見る光景があります。
「はい、次はこれをやって」 「3周できたらOK」 「10分揺れよう」
これは体育や運動としては分かりやすい指標です。けれど感覚統合としては、肝心なものが抜け落ちやすい。 子どもの中にある「こうしたい」が置き去りになるからです。
大人の側の目的が強くなりすぎると、運動そのものが「タスク」になります。 すると子どもは、「先生に言われたから」「終わらせるため」に動く。 動機が外にあるとき、身体の動きは“自分事”になりにくく、日常生活への般化(応用)も起きにくくなります。
感覚統合は、メニューを消化するほど起きるものではありません。 むしろ、「その子の世界が動き出した瞬間」に起きる現象なのです。
私たち大人が見るべきもの
だからこそ、見るべきは「どれだけ動いたか」ではなく、次の問いです。
- その子が思わず手を伸ばしたくなる「目的」が用意されているか?
- 安心して失敗できる「土台」があるか?
- できた/できないの評価より、「やってみたい」を守れているか?
例を挙げるなら、こうです。 ジャングルジムに登らせるのではなく、登った先に“会いたい人”や“届かせたいもの”を置く。 平均台を渡らせるのではなく、そこにある冒険や物語を共有する。 “刺激を入れる”のではなく、世界に関わる手がかりを増やす。
身体機能の向上は、それに没頭した結果としてついてくる「おまけ」です。 順序を逆にして、機能向上を目的にしてしまうと、支援は「窮屈な訓練」になりやすいのです。
脳は「心が動いたとき」に育つ
感覚統合は、特殊な器具や難しい運動のことではありません。 子どもが「自分の体で、この世界に関わりたい」と思えるように、安心と興味の条件を整え、目的の火種を守ること。 エアーズの “For Use” は、その核心を指しているのだと思います。
もし、いま行われている取り組みが「ただの運動ノルマ」になっているように感じたなら、立ち止まってみてください。
For Use(何のために?)
その問いを取り戻したとき、感覚統合はもう一度、身体の中で“生きたもの”として動き出します。 量より成熟へ。 メニューより目的へ。 そして、子どもの内側から湧く「やってみたい」を中心に置く。
それが、エアーズが本当に伝えたかったことではないでしょうか。










