頭は「正しさ」を記憶し、身体は「痛み」を記憶する:デジタル社会の身体論 [note074]

Ref. #身体論 #身体知 #デジタルとアナログ #記憶 #対人関係

Library Note [Note-074]

本日の問い

スマホの画面を流れていくニュースや、SNSでの激論。私たちはなぜこれだけの情報に触れることができ、喜怒哀楽を感じ、そしてなぜこんなにも簡単に切り替えられるのか。身体性という切り口から考えてみようと思います。

こんな方へ

  • ネットニュースやSNSの炎上を見ると、どっと疲れてしまう方。
  • 面倒な人間関係やトラブルをなるべく避けて効率的に生きたいと思っている方。

この記事の結論

  • 脳は情報を「デジタル(0か1か)」で処理するため、論理的で分かりやすいが、そこには現実特有の「温度感や手触り」が欠落している。
  • 身体は経験を「アナログ(連続体)」として受け止める。そこには言葉にできない「余白(ノイズ)」が含まれており、それこそがリアリティの正体である。

頭の中の情報には、「温度」がない

スマホの画面を流れていくニュースや、SNSでの激論。 私たちはそれを読み、怒り、あるいは悲しみ、数分後には次の話題へと移っていきます。

なぜ、こんなにも簡単に切り替えられるのでしょうか。 それは、脳で処理する情報には「温度」「重さ」もないからです。

脳にとって、世界はデジタルな記号の羅列です。 「正しいか、間違いか」「敵か、味方か」。 論理でスパッと割り切れる世界は、非常に効率的で、ある意味で清潔です。 しかし、そこには決定的な欠落があります。 「手触り(テクスチャ)」がないのです。

川の水がサラサラと流れていくように(フロー)、頭だけの情報は、どんなに衝撃的でも、私たちの皮膚を濡らすことも、火傷させることもありません。

現代はネットを通じて、私たちは世界中のあらゆる出来事に触れることができます。 しかし、身体ごと相手の痛みや喜びを受け止め、その重みを「自分のこと」として引き受けられる範囲というのは、実は生物学的に決まっており、驚くほど少ないのです。 

身体の記憶は、割り切れない

一方で、その限られた範囲の中で、「身体」を通じて得る経験は、全く質が異なります。

誰かと対峙した時の、胃が縮むような緊張感。 握手した手の、生々しい温かさ。 後悔で胸が押しつぶされそうになる重み。

これらは、論理(ロジック)では割り切れません。 白とも黒ともつかない、無限のグラデーション。 言葉にできない「余白」「ノイズ」を含んだ、アナログな泥臭さ。

身体は、この割り切れない情報を流すことなく、地層のように自分の中に積み重ねて(ストックして)いきます。 頭は忘れても、身体が覚えている。 古傷が痛むように、あるいはふとした瞬間に胸が熱くなるように、「身体に刻まれた記憶」だけが、逃れられないリアリティとして私たちの中に残り続けます。

「無傷の正義」という暴力

現代社会の危うさは、この「身体的な手触り」を伴わないまま、脳だけの論理で他者に関わろうとすることにあります。

例えば、ネット上のトラブルや、学校や職場での問題。 現場にいない人間が、画面越しの情報だけで「これが正義だ」「こうすべきだ」と断罪する。 それは論理的には正しいかもしれません。

しかし、現場にいる当事者は、論理では片付かない「身体的な痛み」の渦中にいます。 その泥臭い温度感を共有せず、安全圏から冷たい論理のメスを入れること。 自分の手は汚さず、痛みも引き受けず、言葉だけで介入すること。

それは、まるで麻酔なしで手術をするような、ある種の暴力性を孕んでいます。 身体性を欠いた正義は、時に凶器となって、当事者の心を深く傷つけてしまうのです。

泥を被る、ということ

本当の意味で誰かと関わる、あるいは何かを理解するというのは、脳内のデータを増やすことではありません。 「自分の身体を、その現場に置く」ということです。

それは、効率が悪く、面倒で、時に自分が傷つくことさえあります。 しかし、その「泥を被るような経験」を通してしか、得られないものがあります。

トラブルに直面し、悩み、熱を出し、身体ごともがく時間。 そのプロセスだけが、ウイルスに対する「抗体」のように、生きていくための強靭な免疫を心身に作り出します。

脳だけで処理された「きれいな正解」は、すぐに風化して消えていきます。 しかし、身体で引き受けた「泥臭い経験」は、あなたという人間の土台となり、決して消えることはありません。

正しさよりも、手触りを

私たちは今、あまりにも多くのことを「頭」だけで片付けようとしすぎています。

情報を追うのをやめ、目の前の現実に触れてみてください。 そこには、思い通りにならない他者がいて、割り切れない感情があり、確かな温度があります。

「わかる(脳)」ことよりも、「感じる(身体)」こと。

論理の正しさで武装するのではなく、その手触りのある痛みを、身体ごと引き受けてみる。 そんな「身体的な関わり合い」を取り戻したとき、私たちは初めて、情報の消費から抜け出し、地に足のついた人生を歩み始めることができるはずです。


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この記事を書いた人

トレーナーAzuma

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