「これをやれば痩せる」の誤解:擬似相関の罠と、複雑系としての身体論 [note067]

Ref. #擬似相関 #複雑系 #身体知 #ヘルスリテラシー #マインドフルネス

Library Note [Note-067]

本日の問い

「あの人が痩せた方法」があなたに聞かないのはなぜでしょう?そこには統計学ではよく知られる『擬似相関』という罠が存在するのです。

こんな方へ

  • 「あの人は成功したのに、なぜ私だけ?」と、他人の成功体験と自分を比べて落ち込んでいる方。
  • テレビやSNSの健康法・ダイエット法を次々と試しては、効果が出ずに疲弊してしまっている方。

この記事の結論

  • 多くの成功法則は、直接的な効果ではなく、生活意識の変化などが隠れた要因となっている擬似相関である場合が多い。
  • 身体は無数の変数が絡む「複雑系」であり、他者の正解が自分に当てはまるとは限らない。
  • 「わからない部分」を排除せず、そのブラックボックスを含めて受容することが、精神的な健全さに繋がる。

「朝ヨガ」は原因ではない

統計学において「擬似相関(ぎじそうかん)」という概念があります。 一見すると「原因と結果」に見えるが、実際には第3の因子が働いている現象のことです。

例えば、「毎朝ヨガをしたら、5kg痩せた」という事例。 これを「ヨガ=脂肪燃焼」と捉えるのは早計です。 構造を分解すれば、真実は以下のようになります。

  1. 動機づけ: 「早起きしよう」「健康管理をしよう」という意識レベルが向上する。
  2. 行動変容: ヨガはその「スイッチ(きっかけ)」に過ぎず、実際には無自覚な「間食の排除」や「睡眠の質の向上」が併発している。
  3. 結果: 痩せる。

つまり、結果を出したのは「生活全体の規律」であり、ヨガそのものの効果とは限りません。 この構造を理解せず、意識を変えずにメソッド(ヨガ)だけを模倣しても、結果が出ないのは当然のことです。

酵素ドリンクも、糖質制限も

この罠は、ヨガに限りません。

  • 「酵素ドリンクを飲んだら痩せた」 → ドリンクの効果ではなく、高カロリーな食事を1食置き換えた(総摂取カロリーが減った)だけではないか?
  • 「糖質を抜いたら痩せた」 → 糖質のせいではなく、同時にスナック菓子や清涼飲料水(質の悪い油や添加物)を止めたことが主因ではないか?

これらは全て「擬似相関」の可能性があります。 「これをやったから痩せた」という直接的な因果関係があるわけではなく、それがトリガーとなって「生活全体が整ったこと」が、本当の要因なのです。

「私の正解」は「あなたの正解」ではない

なぜ、身体においてはこうした誤認が頻発するのか。 それは、身体が単純な機械(単純系)ではなく、極めて難解な「複雑系」だからです。

  • 過去の負傷履歴や、骨格の個体差
  • 腸内細菌のバランスや、ホルモン状態
  • 気圧、気温、湿度の外的要因

これら無数の変数が、お互いに影響し合っています。 変数がこれほど違えば、導き出される解も当然異なります。

ある人にとっての「最適解(ヨガ)」が、別の人にとっては「腰を痛める原因」になることもあり得ます。

他者の成功体験を参考にすることはあっても、それを絶対視してはなりません。 身体というシステムにおいて、「万人に共通する正解」など存在しないからです。

「私にとっての正解」は、自分自身の身体と向き合い、対話する中で見つけ出す以外にないのです。

頭で考える「私」と、実際の「身体」

私たちは、この「複雑系」である身体を、頭(論理)でコントロールしようとしてしまいます。

「計算上はこれで痩せるはずだ」 「論理的にはこれで回復するはずだ」

しかし「頭で考えている私」が、私の全てではありません。

  • 「やる気」はあるのに、身体が鉛のように動かない。
  • なんでもない一言に、急にイライラしてしまう。
  • 自分でも理由がわからないまま、不調になる。

これは、単純化したい「頭」に対し、複雑なままの「身体」が乖離(かいり)を起こしている状態です。

そもそも、わかっているつもりでいても思い通りに行かない、そんなことは日常の中にたくさんあります。

このズレに対し、「なぜ思い通りにならないんだ」と自分を責めることは、天候に対して腹を立てるのと同じくらい無意味なことです。 相手は、論理を超えた「自然現象」だからです。

結論:「わからない私」を受け入れる

では、私たちはどう身体と向き合うべきか。 答えは、「わからない部分がある」ということを、許容することです。

現代科学をもってしても、人体の全容は解明されていません。 自分自身の身体であっても、その内側には巨大な「ブラックボックス(未知の領域)」が横たわっています。

「自分ですら、自分のことが完全にはわからない」

そう認めることは、決して諦めではありません。 むしろ、わからなさを受け入れるという諦念が、自分という存在の「奥行き」を知ることに繋がります。

そして、自分のことですらよくわからないのだから、パートナーや家族が思い通りにならないのも、考えてみれば当たり前のことです。 そう思えたとき、自分へのイライラも、他者への不寛容さも、少し和らぐのではないでしょうか。

単純な因果律(擬似相関)への依存を捨て、この複雑で、ままならないシステムと付き合っていく。

「わからない部分も含めて、それが生きた『私』という存在なのだ」

そうやって、自分の複雑さを面白がる余裕を持つこと。 それこそが、ストレスなくご機嫌に自らの身体と関わっていく秘訣なのかもしれません。

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この記事を書いた人

トレーナーAzuma

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