恋愛リアリティーショーは割と苦手なジャンルだった
正直に言うと、私はこれまで恋愛リアリティーショーをほとんど見てきませんでした。
『あいのり』『テラスハウス』『バチェラー』といった代表的な作品も、断片的に触れることはあっても、深く入り込むことはなかった。
理由は単純で、そこに描かれる世界観や感情の動きに、自分の感受性が追いつかなかったからです。
10代の頃を振り返ると、恋愛そのものというよりも、その手前にある「人と関係を結ぶための社会性」の段階で、私は長く立ち止まってきた感覚があります。
幼少期から、自分をオープンに表現することや、感情を外に出すことが得意ではありませんでした。
とはいえ孤独を楽しめるタイプでもない。社会と関わりたい気持ちはあるのに、何だか上手くできない、そんな不器用さを抱えてきました。
だからこそ、「社会性」の先にある「恋愛」というステージから物語が始まる番組を見ても、どう受け止めていいか分からなかったのだと思います。
何気なく見始めたら引き込まれちゃった
そんな私が、パーソナルのお客さんに勧められて何気なく見始めたNetflixの『ボーイフレンド』には、自然とのめり込んでいきました。
この作品が描いているのは、恋愛そのものというよりも、恋愛以前の段階としての「人と社会との向き合い方」だったからです。
参加している彼らは、男性を愛する男性として、自身のセクシャリティと向き合いながら生きてきた人たちです。
そのため番組の中でまず描かれるのは、恋愛ではなく、仲間をつくり、信頼関係を築き、同じ空間で共に過ごすプロセスでした。
摩擦が残る場所で関わり続ける
私がこの作品に美しさを感じたのは、彼らの他者との関わり方です。
「人と自分は違う」という事実は、誰にとっても避けられません。
ただ、その違いを声高に主張して孤立するでもなく、心地よい集団の中に逃げ込むでもない。
『ボーイフレンド』の彼らは、そのどちらにも寄りかかりませんでした。
「Green Room」という共有空間で、互いの違いを認識し、ときに消化不良を起こし、摩擦(ハレーション)を生み出しながらも、関係を断ち切らずに関わり続ける。
そこにあるのは、分かりやすい調和ではなく、不完全さを含んだ関係性です。
しかし彼らは、その摩擦から逃げません。
関わり続けることで自分自身を深め、他者との関係性を更新していく。
その先に、パートナーを見つけるという、極めて個人的で切実な幸福の追求が描かれていきます。
恋愛の話に閉じてないのがいい
これは、恋愛だけの話ではありません。
仕事でも、人間関係でも、価値を生み出そうとすれば、他者との摩擦は避けられない。
幸福や自己の確立は、自分一人で完結するものではなく、自他の関わり合いの中でしか立ち上がらないのだと思います。
『ボーイフレンド』が提示しているのは、セクシャリティの物語である以前に、
私たちが社会の中で生きていくための「ソーシャリティ(社会性)の再構築」のプロセスでした。
社会との距離感に悩み、不器用さを抱えてきた私にとって、彼らの姿はどこか合わせ鏡のように映ります。
だからこそこの作品は、他の恋愛リアリティーショーとは異なる輪郭を持ち、強く心に残ったのだと思います。











